"おジャ魔女はココにいる"――コロナ禍で振り返る『おジャ魔女どれみ』シリーズ
このブログもずいぶんご無沙汰になってしまいましたが(汗)
まさか最後の記事を書いてから、世界がこんなにも一変してしまうとは、想像もしていませんでした。
4月に緊急事態宣言が発令されても、私は幸いこれまでと変わらず就業することができました。ですが、私の仕事はリモートワークに即移行できるような環境ではなかったので、フルリモートへ切り替わった知人たちをよそに、非常事態のなかで「ほぼ毎日出社して働きながら暮らしを営むこと」を維持するのは、体力的にも精神的にも、かなり苦しいものがありました。
仕事がしんどーいと!叫びーたい!(突然のSLAM DUNK)けど、ほぼ毎日出社して働いているからこそ、このご時世でも日常生活が送れているんだから、むしろ恵まれていることに感謝しないと……。そんな後ろめたさから、大っぴらに「つらい」と漏らせないことが、コロナ流行下では何より負担でした。
そうなると、みるみるストレスが溜まります。
私の主なストレス解消法は……
友達とおいしいものを食べに行く。
カラオケで好きな歌を気が済むまで歌う。
ふらっとウィンドウショッピングする。
趣味仲間と集まる。
実家に帰って家族と団欒する。
です。
お察しのとおり、コロナ禍ではこれらの手札は全部使えなくなってしまいました。
それでも、私はそもそもインドア派なので、好きなアニメを観たり、漫画を読んだり、お料理したり、AmaプラやNetflixで映画を観たり、家族とオンライン飲み会したり、家の中で筋トレしたり。自粛しながらでも楽しめることを探して、『塔の上のラプンツェル』のラプンツェルみたいに、自粛暮らしを楽しんで充実させよう!モードに本格的になりつつあった初夏に、身内の訃報が入りました。
長い間、闘病していた大好きな身内の死。
ごくごく少人数で家族葬を執り行なうことは出来ましたが、あまりにショックで、哀しさと喪失感に襲われ、自粛暮らしを楽しむことはおろか、私は一日をやり過ごすだけで精一杯になりました。
さすがに、精神が持たないなと危機を感じたので、家族や親友につらさを打ち明け、心の負担を少しずつ軽くしながら、なんとか今に至ります。
そんな自粛期間を経たことで、私は自分の大好きなアニメや漫画や映画作品に、ある変化が起きました。
誰かが亡くなったり、痛めつけられたり、悲しい目に遭ったりするシーンに対する耐性が、ほとんど無くなってしまったのです。
元々、自分が痛めつけられるような感覚を覚えてしまうので、暴力的なシーンには目を背けていましたが、心が弱りすぎたせいか、それがより顕著になってしまいました。
しばらくフィクションに触れるのがつらくて、Netflixのクィア・アイばかりを見ていました。
クィア・アイとは、悩みやコンプレックスに苦しむヒーロー(依頼人)たちに、それぞれの分野のエキスパートである"ファブ5"という5人組のゲイが手助けをするというリアリティーショー番組です。
クィア・アイに出てくるヒーローたちの中には、大事な人の死から立ち直れなくなってしまった人もいます。私はヒーローたちに思いっきり感情移入をして彼らに自分を重ねました。
悩めるヒーローたちを否定せず、優しく寄り添い、ケアをしながら背中を押してくれるファブ5に、私がどれだけ救われたかは計り知れません。
前フリが長くなりました。おジャ魔女どれみの話です。
このたび、アニメ評論家・藤津亮太さんの『アニメの門チャンネルDUO』のおジャ魔女どれみ回に、リアルタイム視聴者だったファンとして出演させて頂きました。
出演を機に、おジャ魔女どれみシリーズをあらためて見返しました。(ありがとうAmazonプライム!)
シリーズが進むにつれ、先々代の女王様の深い悲しみが魔女ガエルの呪いを生み出したこと。彼女が人間界と魔女界との交流を断絶させたこと。そしてその深い悲しみが、最愛の家族との別れによるものだったことが明らかになります。
(※ここで先々代の女王様に感情移入しすぎて号泣のわたし)
『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』では、どれみちゃんたちは先々代の女王様の深い悲しみに触れ、最愛の家族との幸せな思い出が詰まった品を手作りし、幸せだった記憶をもう一度取り戻してもらい、ついには先々代の女王様を永い眠りから目覚めさせます。
魔女界に平和をもたらしたどれみちゃんたちは、現女王様や魔女たちから賞賛されます。魔女たちからすれば、どれみちゃんたちは長きにわたる呪いを解いた、英雄に値する存在です。
だけど、どれみちゃんたちにとって、"困っているひとの心に寄り添うこと"は、シリーズ当初からずーーーーっとやってきたことでした。
どれみちゃんたちは、家庭環境やコンプレックスに悩む、同じ学校のクラスメイトたちの心に、いつだって友だちとして寄り添ってきました。
クラスメイト、と一言で表していますが、驚異的なことに、どれみちゃんが所属する3年2組のクラス30名全員には、席順が設定されています。
おジャ魔女どれみ20周年を記念したこちらの記事では、シリーズディレクターを務めた佐藤順一さんがクラスメイトについてこのようにお話されています。
佐藤:クラスメイト30人決めて、席順を決めたかったんですよ。ドラマの『金八先生』とかそうなんですよね。席順が決まっていて、いつも同じ子が座ってる。だから、具体的に誰とかわからなくても、その子が出てくるとクラスのあのあたりに座ってる子だなってわかる。それをやりたくて、その他大勢をアニメーターの自由作画にしませんでした。
アニメーターさんの自由にできるエリアとして、いろんなキャラクターを並べたり作画できる楽しみがあるところだとは思うんですけど、それを奪って(笑)。視ている子どもたちがそのクラスに一緒にいるような感じを目指しました。で、実際にやってみたらすごくたいへんだったんですよね(笑)。
(2019.02.14 PASH! PLUS様より引用)
どれみちゃんの3年2組には所謂モブキャラはひとりもおらず、みんなに席順、つまり教室での居場所が与えられています。さらに、それぞれのクラスメイトの誰もが悩みを抱えていることが、各シリーズのエピソードで丁寧に描写されています。
目立たないキャラクターだとしても、誰もがこの物語のなかで懸命に悩み、生きているのだと、シリーズを通して感じさせてくれるのです。
小学生だった当時、『おジャ魔女どれみ』を観ながら「私ならあのへんの席に座ってるかな?」と、どれみの世界に自分の居場所を見出していました。まさに佐藤順一さんの仰る「そのクラスに一緒にいるような感じ」を楽しんでいたのです。今回、あらためて見返しながら、『どれみ』はそんな童心を思い出させてくれました。
困っている友だちは、何に悩み、怒り、悲しみ、喜びを感じるひとなのか。
どうすれば彼らの心に寄り添えるのか。
時には魔法にヒントをもらいながら、どれみちゃんたちは自分の頭で考えて、たくさんの人々と積極的に関わります。
先ほど私は「誰かが辛いめに遭うシーンに耐性が無くなった」と書きました。
『おジャ魔女どれみ』はその描写の丁寧さから、時にはリアルに描かれる心の傷や痛みに「うっ、つらい……」と苦しくなる場面が多々あります。
それでもこの物語を最後まで見届けることが出来るのは、どれみちゃんたちはどんな人のことも決してひとりぼっちにしないから。
そこに揺るぎない安心感があるからなのだと思います。
「私はあなたのことを気にかけているよ」と、思い遣りを持って、その人の心に寄り添おうとするどれみちゃんたちの姿は、まさに前述のクィア・アイのファブ5に重なり、どれみちゃんを通して、私は自分の心が癒されていくのを感じました。
人の心に寄り添う。
その小さな積み重ねが、自分の友だちや、魔女界の危機を救うことに繋がる展開が『おジャ魔女どれみ』らしくて、私は大好きです。
この未曾有のコロナ禍で、人との交流が分断され、傷つかなかった人なんて、世界にひとりもいなかったと思います。
シリーズ第2作『おジャ魔女どれみ#』のオープニングのサビではこんな歌詞があります。
おジャ魔女は ココにいる
ハートのどまんなか
いつだって 一緒だよ
お元気に遊ぼう!
生活が一変して、心が追いつかなくて、疲れてしまった今だからこそ、
『おジャ魔女どれみ』を振り返ると、この作品がハートのどまんなかでいつだって一緒だよ、と自分に寄り添ってくれているような優しい読後感がありました。
大人になっても子ども向けアニメで感動するのは、人から見れば滑稽かもしれません。
けれど私は、疲れていても、心が辛くても、『おジャ魔女どれみ』を観ていて「さびしい」と感じたことはありませんでした。
コロナ禍でさびしさを忘れさせてくれる、そして元気をくれる『おジャ魔女どれみ』は、私にとってはやっぱり魔法みたいな、特別な作品です。